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東京地方裁判所 昭和55年(行ウ)57号 判決 1982年2月09日

原告 藤本忠司

被告 厚生大臣

代理人 一宮和夫 遠藤洋一 ほか六名

主文

一  被告が原告に対し昭和五四年三月五日付でした戦傷病者戦没者遺族等援護法による障害年金請求却下裁定を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  原告

主文同旨

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二原告の請求原因

一  原告は、旧国家総動員法(昭和一三年法律第五五号。以下「総動員法」という。)五条の規定に基づく総動員業務の協力者として、昭和一六年一二月一八日、兵庫県城崎郡日高町所在の国鉄山陰本線江原駅において軍需物資の荷役作業(以下「本件作業」という。)に従事中、転倒して荷物の下敷きとなり左大腿骨を骨折した。原告は、直ちに入院し約半年間治療したものの、七〇歳になる今日においても左膝関節強剛、不全強直の後遺障害を残している。

二  戦傷病者戦没者遺族等援護法(以下「援護法」という。)二条三項一号は、「準軍属」の一として「総動員法五条の規定に基づく総動員業務の協力者」を掲げているところ、原告は、総動員法五条並びに同条を受けた国民勤労報国協力令(昭和一六年一一月二一日勅令第九九五号。以下「協力令」という。)及び国民勤労報国協力令施行規則(昭和一六年一二月一日厚生文部省令第三号。以下「施行規則」という。)の規定に基づき組織された国民勤労報国隊(以下「報国隊」という。)の隊員として本件作業に従事した。仮に、原告が右隊員の身分を有していなかつたとしても、総動員法五条の規定に基づく総動員業務の協力者は右隊員に限定されず、広く総動員業務に協力した者一般を含むところ、原告は総動員業務の協力者として本件作業に従事したものである。したがつて、原告は援護法の「準軍属」に該当する。

三  そこで、原告は、昭和五三年三月五日付で被告に対し援護法五条の障害年金の支給を請求したところ、被告は、昭和五四年三月五日付でこれを却下する旨の処分(以下「本件却下処分」という。)をした。その理由は、「提出された資料では受傷時の身分が援護法に規定する準軍属(国民勤労報国隊員)とは認められない。」というものである。原告は、昭和五四年九月一二日被告に対し異議申立てをしたが、未だ決定がない。

四  しかし、原告が準軍属に該当しないとする本件却下処分は、事実の認定を誤り違法である。よつて、その取消しを求める。

第三請求原因に対する被告の認否と主張

(認否)

一  請求原因一のうち、原告が昭和五三年三月当時左膝関節強剛、不全強直の症状を有していたことは認め、原告が総動員法五条の規定に基づく総動員業務の協力者であつたことは否認し、その余は不知。

二  同二は争い、同三は認め、同四は争う。

(被告の主張)

一  原告が援護法に基づく障害年金を受給できるためには、<1>身分が準軍属であつたこと、<2>公務上負傷し、これにより現症に至つたこと、<3>恩給法別表第一号表の二と第一号表の三に定める程度の不具廃疾の状態に至つたこと、の三要件を満たすことが必要である。しかし、原告については次に述べるように<1>の要件が認められない。

よつて、本件却下処分は適法であり、原告の請求は理由がない。

二  原告は、受傷当時、総動員法五条の規定に基づく総動員業務の協力者たる報国隊員ではなかつた。

1 援護法二条三項にいう準軍属とは、「総動員法五条の規定に基づく総動員業務の協力者」等をいうが、総動員法五条は、「勅令ノ定ムル所ニ依り帝国臣民……ヲシテ……総動員業務ニ付協力セシムルコトヲ得」と規定していたところ、同条に基づく勅令として昭和一六年当時制定されていたのは協力令だけであつた。そして、協力令は、総動員法五条の総動員業務の協力について、報国隊という隊組織による協力のみを定めていた。したがつて、「総動員法五条の規定に基づく総動員業務の協力者」として「準軍属」と認められるのは報国隊の隊員のみである。

2 協力令及びその一七条の規定に基づき制定された施行規則によると、報国隊とは、隊組織をもつて、国・地方公共団体又は政府の指定する者の行う総動員業務について協力するものであり(総動員法五条、協力令一条)、現役軍人等を除き、原則として一四歳以上六〇歳未満の男子及び一四歳以上四〇歳未満の女子によつて構成され(協力令三条)、隊組織であるため「国民勤労報国隊長」と称される指揮者が存在した(施行規則一〇条二項)。その編成等の手続は次のとおりである。まず、報国隊の協力を受けようとする者は、厚生大臣又は地方長官に請求又は申請を行なう(協力令五条)。厚生大臣又は地方長官は、その必要を認めるときは、市町村長その他の団体の長又は学校長に対し、「国民勤労報国隊編成令書」を交付し、協力を受けるべき者、作業の種類、協力をなすべき場所及び期間、所要人員数等を指定し、報国隊による協力に関し必要な措置を命じる(協力令六条、施行規則七条、八条)。右の市町村長等(施行規則一〇条一項によれば「国民勤労報国隊編成者」と称される。)は、年令、職業、身体の状態、家庭の状況、希望等を斟酌して、協力をなすべき者を選定し、原則として「国民勤労報国隊協力令書」によりこれを本人に通知し、その他協力に関し必要な事項を指示する(協力令七条、施行規則一〇条)とともに、その中から隊の指揮をなす「国民勤労報告隊長」を選定する。以上が編成手続である。そして、協力をした者には旅費、手当又は謝金等も支払われることになつていた(施行規則一四条)。

3 原告は、昭和一六年一二月一八日報国隊員として江原駅で軍需物資の荷役作業に従事中受傷したと主張するが、報国隊員の具体的な事項について定めた協力令及び施行規則は同月一日から施行されたばかりであり、しかも太平洋戦争は同月八日に始まつたばかりである。また、江原駅は、兵庫県の中央部よりやや日本海寄りの山間部の小駅であつて付近に軍需工場等は全く存在しない。このような早い時期に、このように田園的な地方に、前記のようなかなり複雑な手続を経て編成される報告隊があつたとは到底考えられない。

また、軍需物資の荷役作業に従事していたとの点についても、原告らが運搬していたのは蚕座紙であつたようであり、蚕座紙は軍需物資に該当しないのである。

4 したがつて、原告が報告隊員であつたとは認められず、その余について触れるまでもなく、原告の請求は理由がない。

原告は、豊岡国民職業指導所が兵庫県城崎郡八代村長に勤労奉仕を行う者の選定を命じ、八代村長がこれを各部落に一名あて割り当てて結成された勤労奉仕隊の一員として本件作業に従事したようである。しかし、この隊の編成方法は、前記の報国隊の編成とは異なるものであり、報国隊の編成令書や協力令書が交付されておらず、隊長の選定もない。したがつて、右勤労奉仕隊が報国隊とは認められず、結局、本件作業は自主的な勤労奉仕であつたと考えられる。このことは仮に村長の要請があつたとしても変わらない。

三  原告は、援護法二条三項一号の「総動員法五条の規定に基づく総動員業務の協力者」は、報国隊員に限定されず、広く総動員業務に協力した者一般を指すと主張するが、援護法の立法趣旨は、旧軍人軍属等の公務上の傷害等について、国が使用者としての立場から補償しようということにある(同法一条)ところ、同法二条三項一号の「協力者」について、原告主張のように何らの限定を付さず総動員業務に協力した者一般を指すと理解することは、その対象者を極めてあいまいにし、国の被用者としての国民の範囲を明確化することができず、立法趣旨を逸脱してしまうことになる。仮に、国民総動員という風潮の下での勤労奉仕等が、協力令に基づく報国隊の活動とさほど変わらないものであつたとしても、現行援護法上、両者は明確に区別されるべきである。原告の主張は立法論としてならともかく現行援護法の解釈としては到底採り得ない。

第四原告の反論

一  原告は、報国隊員として本件作業に従事した。

被告は、本件作業の時期的、地理的状況や原告らの隊の編成状況等からして、原告が報国隊員とは認められない、と主張する。しかし、報国隊の沿革と原告らの隊の編成状況等を対比すれば、原告が報国隊員としての身分を有していたことが次のとおり明らかである。

1  報国隊の沿革

昭和一二年七月の日中戦争開始と同時に、国家総動員体制が実施された。次いで、昭和一三年三月二四日には総動員法が制定され(同年四月一日施行)、国家総動員体制は法的な裏付けを有する本格的なものとなつた。そして、国家総動員計画の一環として、昭和一四年七月四日に第一次労務動員計画、昭和一五年七月一六日に第二次のそれ、昭和一六年九月一二日に第三次のそれが逐次策定された。とりわけ、第三次の計画では、昭和一六年八月二九日に閣議決定された「労務臨戦体制」を具体化し、広く国民一般を動員する計画が重点的内容とされた。すなわち、同計画においては、産業要員を常時要員と臨時要員に区別し、臨時的季節的労務の臨時要員に学生や一般国民を充て、常時要員のみをもつてしては到底満たし得ない産業要員の充足に資することとしたのは、従来と著しく趣を異にするものであつた。

そして、右労務動員計画実施のため、昭和一四年ころ、府県段階には県町村労務動員協議会、各町村には町村労務動員協議会が置かれた。一方、従来失業救済機関であつた職業紹介所は、昭和一三年には労務統制機関となり、昭和一六年二月には名称も国民職業指導所と改められ、国の機関として右協議会の指導、協力に当たつた。そして、労務動員の一環を担うものとして、学校報国隊や国民職業指導所その他の団体が組織する勤労奉仕隊が、それぞれ勤労奉仕作業を行うようになつた。更に、昭和一六年三月一日には総動員法の大改正が行われ、本件で問題となつている五条についても、協力対象業務を国又は地方公共団体の行う業務だけに限定せず、政府指定の民間団体が行う業務にまで拡大することになつた。

このように、太平洋戦争が開始された時には、国家総動員体制が実施されてから既に四年を経過していたのである。協力令は確かに昭和一六年一二月一日から施行されたが、それは、右のように既に都市と農村とを問わず全国的に実施されていた労務動員、勤労奉仕の体制を集権化し、整備し、より一層の拡充強化を図ろうとするものにすぎなかつたのである。すなわち、報国隊は、協力令によつて初めて誕生したものではなく、その名称はともかく、従前から各地方、各団体の手によつて行われていた勤労奉仕作業の統制を強め、中央集権的に組織替えしたものにすぎず、その編成にはそれ程の手間と時間を要しなかつた。したがつて、協力令の施行直後で太平洋戦争が始まつたばかりだから報国隊が編成されているはずがない、とはいえない。

2  但馬地方における昭和一六年ころの状況

本件作業が行なわれた江原駅の付近には、神戸製鋼所の溶接棒製造工場、郡是製糸江原工場等があり、同駅は、それらの工場に関連した物資や木材、耐火レンガ、蚕繭等の荷扱量が多かつた。そして、昭和一二年以降の戦線の拡大に伴ない同駅でも人手が不足がちとなり、昭和一五年ころからは豊岡国民職業指導所や付近の町村に依頼して人手を集めるようになつていた。

なお、昭和一四年一二月には兵庫県において、昭和一五年三月には八代村において、それぞれ労務動員協議会規程が定められ、労務動員に関する協議が開始されていた。

3  原告に対する動員の手続

本件作業に従事した隊の編成手順は次のとおりであつた。まず、昭和運送株式会社(以下「昭和運送」という。)江原支店が、本件作業日の前日ないし二、三日前に豊岡国民職業指導所長に対し報国隊により協力を要請した。同所長は、八代村長に対し書面により報国隊の編成を命じた。八代村長は、直ちに区長会を召集して隊員の人選を依頼した。各区長は、その区(部落)の会合を召集して、一名あての適任者を選出し、口頭で報国隊による協力を命じた。原告は、昭和一六年一二月一七日の夜に開かれた八代村猪爪部落の部落集会において、猪爪区長から、翌日江原駅の荷役作業を行う報国隊員として協力すべき旨の指令を受けた。そして、翌一八日午前八時ころ江原駅に原告を含めて五名程の各部落代表の隊員が集合し、昭和運送江原支店の担当者から指示を受けて本件作業を開始した。

以上のように、本件作業は報国隊を編成して行われたものであり、隊の編成が協力令や施行規則に反するものではない。協力令書が作成交付されず、原告に対する通知は口頭で行なわれたが、これも施行規則一〇条一項但書に則つたものである。なお、協力令や施行規則が施行された直後の移行期においては、手続的に多少の不備があつたとしても、報国隊の実質さえ備えていれば協力令や施行規則に則つたものと評価すべきである。

4  本件作業の内容

本件作業は、総動員法三条二号の国家総動員上必要なる運輸に関する業務である。なお、原告が受傷当時運搬していた蚕座紙は、落下傘の布地の材料等として重要な軍需物資であつた絹糸の生産に欠かすことができないものであり、総動員物資といい得る。

5  費用の負担等

協力令九条、施行規則一四条、一五条によれば、報国隊の協力に要する経費は協力を受ける者の負担と定められていたところ、昭和運送は、本件作業に協力した者に日当を支払い、負傷した原告の治療費を負担した。

また、原告の負傷については、昭和運送から直ちに八代村長と豊岡国民職業指導所へ報告され、村長はじめ役場関係者や国民職業指導所主任が入院中の原告を見舞つている。単なる奉仕作業員の負傷であれば、このような丁重な扱いがなされるはずがない。

6  以上のように、あらゆる点からみて、原告は本件作業当時報国隊員としての身分を有していたものである。

二  被告は、報国隊員の身分を有しない者は援護法二条三項一号の「総動員法五条の規定に基づく総動員業務の協力者」ではない、と主張するが、右解釈は次のとおり誤つている。

1  昭和一三年四月一日に施行された総動員法は、五条で、「勅令ノ定ムル所ニ依り」総動員業務に協力させると定めているが、その勅令たる協力令が施行されたのは昭和一六年一二月一日からである。しかし、昭和一三年四月の総動員法施行から昭和一六年一二月の協力令施行までの間にも総動員業務は存在したのであり、その協力者は協力令に基づく報国隊員といえないとしても、これを「総動員法五条の規定に基づく総動員業務の協力者」と評価して何の不都合もない。このことからしても、協力令で定める報国隊員であることが、「総動員業務の協力者」に該当するための必須の要件とはいえないのである。

2  総動員法五条は、勅令の定める手続によらないで、任意的、自発的な形で総動員業務に協力せしむることを排除してはいない。むしろ、自発的形態によることの方が賞揚されていたのである。協力令や施行規則に基づかない単なる勤労奉仕隊の形式による協力も、総動員法五条の規定に基づく総動員業務の協力であることに変わりはない。もし、援護法二条がこのような協力者を除外する趣旨であつたならば、「総動員法五条の規定に基づく勅令による総動員業務の協力者」と定めていたはずである。現行法がそのように規定していないことからすれば、援護法はこのような者を除外しない趣旨であると理解すべきである。

3  被告は、報国隊員という限定を加えずに総動員業務に協力した者一般を準軍属とすることは、国の被使用者としての国民の範囲をあいまいにし、国が使用者としての立場から補償をしようとする援護法の趣旨に反すると主張するが、協力令及び施行規則の手続によらず総動員業務に協力した者も、少なくともその業務に従事中は国と一定の身分関係を有し、その被用者に準じる地位にあつたことに変わりはなく、一般の国民あるいは一般の戦争犠牲者とは異なる地位にあるのだから、これを準軍属に含めて不都合はない。援護法は、総動員業務に協力中、その業務に起因した事故について補償をしようとするものであり、勅令に基づき強制されたものであろうと、自らの意思によるものであろうと、国が一旦これを受け入れ、総動員業務に従事させた以上、等しく総動員業務の協力者としての身分を有するもの、というべきである。

4  その上、援護法は、当初は軍人軍属のみを対象としていたものの、昭和三三年法律第一二五号による改正により準軍属をも対象に加え、公務性及び使用従属関係の要件を大幅に緩和した。準軍属は、軍人軍属と異なり国との間に雇用従属の関係がなく、勤務上の拘束の程度も軍人軍属と同様とはいえないのである。そして、準軍属の範囲は逐次拡大され、現行援護法二条三項によると、必ずしも法令の規定による者に限られず、事実上国の戦争目的遂行に動員された者が広く含まれている。したがつて、原告の主張は援護法の拡大解釈ではなく、かえつて被告のように限定的に解釈することが、「準軍属」の範囲を不当に狭くする結果をもたらし、立法趣旨に反する。

5  以上のように、仮に、原告が報国隊員の身分を有していなかつたとしても、原告は援護法にいう総動員法五条の規定に基づく総動員業務の協力者として準軍属に該当する。

第五証拠関係 <略>

理由

一  請求原因一のうち原告が昭和五三年三月当時左膝関節強剛不全強直の症状を有していた事実及び請求原因三の事実は、当事者間に争いがない。

二  原告は、援護法二条三項一号が「準軍属」の一として掲げる「総動員法五条の規定に基づく総動員業務の協力者」として総動員業務に従事中負傷し、右の後遺症を残したと主張する。

総動員法は、昭和一三年四月一日法律第五五号として公布され、その第一条は、「本法ニ於テ国家総動員トハ戦時(戦争ニ準ズベキ事変ノ場合ヲ含ム以下之ニ同ジ)ニ際シ国防目的達成ノ為国ノ全力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル様人的及物的資源ヲ統制運用スルヲ謂フ」と規定し、また、その五条(昭和一六年三月三日法律第一九号による改正後のもの)は、「政府ハ戦時ニ際シ国家総動員上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ帝国臣民及帝国法人其ノ他ノ団体ヲシテ国、地方公共団体又ハ政府ノ指定スル者ノ行フ総動員業務ニ付協力セシムルコトヲ得」と規定していた。そして、右五条にいう勅令として協力令が昭和一六年一一月二一日に初めて公布され、同年一二月一日から施行された。協力令一条は、「国家総動員法第五条ノ規定ニ基ク帝国臣民ノ勤労報国ヲ目的トスル協力ニシテ隊組織ニ依ルモノ(以下国民勤労報国隊ニ依ル協力ト称ス)ニ関シテハ本令ノ定ムル所ニ依ル」と規定していた。すなわち、昭和一六年一二月当時、総動員法五条の勅令としては協力令のみが施行され、協力令は報国隊による協力のみを規定していたから、総動員法五条の規定に基づく総動員業務の協力としては、報国隊という隊を組織しての協力のみが存したわけである。協力令及びその一七条の規定に基づき同月一日公布施行された施行規則(乙第二号証及び乙第三号証は一部改正後のものであるため、改正前のものによる。)は、報国隊による協力は、国、地方公共団体又は厚生大臣若しくは地方長官の指定する者の行う「国家総動員上必要ナル運輸又ハ通信ニ関スル業務」など施行規則一条一号ないし六号に掲げる総動員業務についてなすべきものとし、報国隊による協力をなすべき者は帝国臣民にして年齢一四歳以上四〇歳未満の男子及び年齢一四歳以上二五歳未満の女子とするとともに(協力令二条、三条)、報国隊の編成手続について次のように定めている。まず、報国隊による協力を受けようとする者は、国民勤労報国隊協力申請(請求)書により、作業地を管轄する国民職業指導所長を経由し、厚生大臣にその請求又は申請を行う。ただし、在学者以外の者をもつて作業地の道府県内において編成される報告隊による協力を受けようとする場合又は緊急を要する場合は作業地を管轄する地方長官に請求又は申請する(協力令五条、施行規則四条、五条)。厚生大臣又は地方長官は、協力の必要ありと認めた場合は直ちに市町村長その他の団体の長又は学校長に対し国民勤労報国隊編成令書を交付して、協力を受ける者、作業の種類、協力すべき場所と期間、所要人員数その他必要な事項を指定して必要な措置を命じる(協力令六条、施行規則七条)。右措置を命じられた市町村長等(国民勤労報国隊編成者と称される。)は、右編成令書に基づき直ちに協力をなすべき者を選定し、国民勤労報国隊協力令書により、特別の事情があるときは口頭によりこれを本人に通知するとともに、通知を受けた者の中から報国隊を指揮する隊長を選定する(協力令七条、施行規則一〇条)。なお、厚生大臣又は地方長官は、右請求又は申請に関する審査等の事務を国民職業指導所長に分掌させることができる(協力令一三条、施行規則一七条)。また、報国隊による協力を受ける者は、旅費、手当又は謝金、宿泊料食費等の経費を負担し、報国隊員が業務上負傷等した場合はその者を扶助する(協力令九条、施行規則一四条、一五条)。以上のように規定していた。

そして、<証拠略>によれば、次の事実が認められる。すなわち、我が国では、協力令が公布施行される以前においても、学校、学校以外の団体及び国民職業指導所が「勤労奉仕隊」、「勤労報国隊」、「祖国振興隊」等と呼ばれる勤労奉仕隊を結成し、勤労奉仕活動を行つていた。しかし、これらの勤労奉仕活動は、全国的に組織化、制度化されていなかつたため統一を欠き、十分の効果を発揮し得なかつた。そこで、これらの勤労奉仕活動の一元的調整を図るため協力令が制定され、既存の勤労奉仕隊も協力令による報国隊として総合的に運営されることになつた。すなわち、各種団体による勤労奉仕活動は、国民職業指導所を窓口とした報国隊による協力として集権的、統一的に運営されることになつた。そして、昭和一六年度の政府の労務動員計画においては、産業要員を常時要員(比較的熟練を要する労務の要員)と臨時要員(比較的熟練を要しない労務の要員)との二本建にし、臨時要員は専ら報国隊の活動にまつこととしていた。また、兵庫県では、地方長官(知事)は、報国隊による協力を受け得る者の一として自動車運送業を指定するとともに、各国民職業指導所長に対し、一定の運用基準を示し、報国隊編成命令を発する権限を内部委任していた。

三  <証拠略>を総合すると、次の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

1  原告は、昭和一六年一二月当時、兵庫県城崎郡八代村猪爪(現在の日高町猪爪)において農業に従事していた。そのころ、八代村には猪爪を含め九つの部落があり、各部落には約三〇戸、村全体では約三〇〇戸の世帯が居住していた。

2  八代村に近い国鉄山陰本線江原駅は、付近に溶接棒を製造する神戸製鋼所や、耐火ろう石を産出する鉱山、セメント工場、製糸工場等があり、また、付近の農家では柳行李編み、養蚕が盛んであつたため、これらの産業の原料、製品や、更には木材、日用雑貨等の積卸で、その荷扱量が福知山鉄道管理局管内で五指に入つた。そして、江原駅発着のこれらの貨物一般の自動車運送を取り扱つていた昭和運送江原支店では、戦況の拡大に伴う取扱貨物の増大と労働力不足で、荷役作業等に困難を来たしてきた。そこで、昭和運送は、江原駅の荷役作業に一般人の協力を求むべく、管轄の豊岡国民職業指導所に対し、協力者の派遣方を申請した。

3  豊岡国民職業指導所係官石田光治は、同所長の命を受け、同月一七日、昭和運送江原支店の社員と共に八代村役場へ赴き、同村から右協力者を派遣するよう伝達した(昭和運送江原支店長生田熊七の日記である<証拠略>の右日付けの欄に、この旨の記載がある。)。

4  八代村長は、豊岡国民職業指導所長からの連絡に基づき、同村から同月一八日の江原駅における昭和運送江原支店の荷役作業に協力する者四名又は五名を派遣することを決め、そのころ、猪爪を含む四又は五の部落の区長に対し、各部落から一名の協力者を選出するよう指示した。

猪爪部落の区長は、同月一七日の晩、部落集会を開き、次の二つの件について説明した。一つは、猪爪部落の住民は、老人子供を除きすべて日本軍食糧補給用の柳行李の弁当入れ(飯行李)を作るということであり、今一つは、江原駅で右の荷役作業を行う者を一名選出しなければならない、ということであつた。だれもがしりごみする中で、体力や運動能力に自信のあつた原告は、自分が猪爪部落を代表して右の荷役作業に協力する旨を申し出た(ただし、原告に対し国民勤労報国隊協力令書は交付されなかつた。)。

5  原告は、指示を受けたとおり翌一八日午前八時ころに昭和運送江原支店に出頭した。原告を含め八代村から派遣された四名又は五名の協力者は、昭和運送江原支店の担当者から作業について説明を受け、共同で本件作業に従事した。作業は、江原駅における貨物の積卸であつた。そして、原告を含む三名の者が、午前九時三〇分ころ重さ約二〇〇キログラム、縦約一二〇センチメートル、横約九〇センチメートル、厚さ約三〇センチメートルの板状の蚕座紙を貨車から卸す作業をしていたところ、何かの拍子で原告に荷重が集中し、原告は転倒して荷の下敷きとなり、左大腿骨骨折の重傷を負つた。原告は、直ちに担架で運ばれ、入院して治療を受けたが、一のとおりの後遺障害が残つた。蚕座紙は、養蚕に必要なものであり、絹糸は当時軍需品の材料としても使われていた。なお、原告の受傷後、昭和運送から豊岡国民職業指導所へ報告がなされ(<証拠略>の同月一九日の欄にその旨の記載がある。)、昭和運送が治療費を負担し、昭和運送の関係者のほか、八代村役場や豊岡国民職業指導所の者も原告の見舞に訪れた。

四  そこで、本件作業が報国隊による総動員業務の協力に該当するか否かを検討する。

1  まず第一に、本件作業が報国隊による協力の対象たるべき総動員業務に該当するかを検討するに、三の2及び5のとおり、本件作業は、太平洋戦争開戦の直後に、国鉄山陰本線江原駅において、同駅発着の貨物一般の自動車運送を取り扱つていた昭和運送江原支店の荷役作業に協力するというものであつた。同社が江原駅で取り扱う貨物は、製鋼業、製糸業、鉱業、養蚕業等の原料、製品や、地域住民の生活に必要な日用雑貨等で、現に原告が受傷時運搬していたのは養蚕に必要な蚕座紙であり、絹糸は軍需品の材料ともなつた。したがつて、同社の業務は、太平洋戦争に際し国防目的達成のため国の全力を最も有効に発揮させるように人的物的資源を統制運用するという国家総動員上必要な運輸に関する業務であることが明らかであり、本件作業は、報国隊による協力の対象たるべき施行規則一条二号の「国家総動員上必要ナル運輸ニ関スル業務」に当たるということができる。

2  第二に、本件作業が隊組織によるものであるか否かであるが、三の4及び5のとおり、本件作業は、八代村長の指示の下に同村から派遣された四名又は五名が共同で行つたもので、隊組織によるものということができる。このことは、<証拠略>の昭和一六年一二月一八日の欄に、「八代村ヨリ奉国隊ノ内四人来ル」、「労仕隊ノ一人藤本増太郎子忠司」及び「勤労奉国隊」の記載があることからも明らかで、右の隊は、「勤労報国隊」又は「勤労奉仕隊」と呼ばれていたことがうかがえる(原告を含む右の四名又は五名の隊を以下「八代隊」という。)。

3  第三に、八代隊の編成が協力令及び施行規則の規定に則したものであるか否かを検討するに、三の2のとおり、昭和運送江原支店は豊岡国民職業指導所長に対し江原駅における荷役作業の協力者の派遣を申請した。右申請が国民勤労報国隊協力申請書によるものであるかは明らかでないが、昭和運送は報国隊による協力を受ける者として指定された自動車運送業者であり、右荷役作業は総動員業務であり、かつ、豊岡国民職業指導所長は報告隊による協力申請の受理機関である。したがつて、右申請は、報国隊による協力申請の実体を有するものといえる。次に、八代村長に対し国民勤労報国隊編成令書が発せられているかは明らかでないが、三の3のとおり、豊岡国民職業指導所長が八代村長に対し八代隊の派遣方を指示しているところ、同所長は報国隊編成命令を発する権限の内部委任を受けており、同村長は報国隊編成者であるから、右指示は報国隊編成命令の実体を有している。更に、八代隊員の選定は、三の4のとおり、報国隊編成者である八代村長の命によるものであつて、報国隊員の選定としての実体を有している。国民勤労報国隊協力令書の交付はないが、施行規則一〇条一項但書による口頭による選定の通知が可能である。ただし、隊長が選定されたか否かは明らかでない。以上のように、協力申請書及び編成令書の作成並びに隊長の選定が明らかでないものの、その余の点では八代隊の編成は協力令及び施行規則に則しており、八代隊は報国隊の実体を有するものということができる。

4  以上に述べたように、協力令の公布施行により、各種団体の勤労奉仕活動は報国隊による協力として統一的に運営されることになつたから、協力令施行後における隊を組織しての勤労奉仕は、特段の事情のない限り、協力令が定める報国隊による協力と認むべきである。しかも、八代隊は、報国隊による協力を受け得る者として地方長官が指定する自動車運送業者の昭和運送の申請に基づき、報国隊編成命令権の内部委任を受けた豊岡国民職業指導所長が報国隊編成者である八代村長に命じて編成させたものであり、報国隊としての実体を有しており、八代隊による本件作業も総動員業務に該当する。したがつて、本件作業は、報国隊による総動員業務の協力に該当するというべきである。

5  もつとも、八代隊の編成につき、協力申請書及び編成令書が作成されたかは明らかでないが、各種団体による勤労奉仕活動を国民職業指導所を窓口とする報国隊による協力に一元化しようとする協力令の制定経緯に照らせば、豊岡国民職業指導所の指示で結成され、報国隊としての実体を有する八代隊を、協力申請書及び編成令書の作成が明らかでないが故に、報国隊以外の単なる勤労奉仕隊と評価するのは相当でない。また、隊員に対し協力令書は交付されていないが、前叙のとおり、施行規則一〇条一項但書で特別の事情があるときは報国隊員に選定されたことを口頭で通知できると規定していたことに照らし、協力令書の交付がなかつたことが八代隊を報国隊と評価することの妨げとなるものではない。更に、隊長が選定されていたか否かも明らかでないが、隊長の選定が報国隊であるための絶対的要件とは認め難い。

また、被告は、協力令が昭和一六年一二月一日に施行されたばかりであることを考えると、同月一八日という早い時期に、山陰の山間部において報国隊が結成されたとは到底考えられないと主張する。しかしながら、<証拠略>によると、同年九月一二日の朝日新聞には、勤労奉仕隊に法的根拠を与えるものとしての協力令案の要綱が発表されている。また、江原駅は、前叙のとおり、付近に重要産業を抱えて荷扱量が多く、山間部の単なる小駅とは評し得ない。その上、報国隊は常設的なものではなく、必要の都度編成されるものであり、八代隊の結成を指示した豊岡国民職業指導所は政府機関であつて、協力令を度外視して八代隊の結成を指示したとは認め難い。そして、<証拠略>の同年一二月二二日の欄には「江原校青年学校生徒七名報国隊トシテ出動下サル」との記載があり、当時現地において報国隊の動員がなされていたことが認められるのである。したがつて、豊岡国民職業指導所長は、協力令の報国隊として八代隊の編成を命じたものと認めるのが相当であり、被告の右主張は採用できない。

五  そうすると、結局、原告は、総動員法五条の規定に基づく総動員業務の協力者たる報国隊員として、本件作業に従事中に、負傷したものであり、援護法二条三項一号の準軍属に該当するというべきである。

六  よつて、原告を援護法二条三項一号の準軍属に該当しないとした本件却下処分は違法であり取消しを免れない。そこで原告の請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 泉徳治 大藤敏 岡光民雄)

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